ところ変わって同じ頃、程近くの森で深守は折成と相対していた。
「まーた来たのね。懲りないオ・ト・コ」
深守は扇子を開くと面倒くさそうに鼻で笑った。また、折成も槍を地面に付けながら睨み付ける。
「…決まり事だからな」
今にも襲いかかって来そうな威圧を感じた深守は「はぁ…」と溜息をついた。
「アンタ達“鬼族”様の勝手で“罪のない命を奪って”どうするつもりだい」
「はんっ知った事か。俺らだって必死なんだよ。そもそもたかが人間の一人や二人大した事ねぇだ…」
言い終える前に深守は駆ける。
「それ以上言ったら、それこそ“アンタ”を“アタシ”が殺しちゃうわよ」
折り畳まれた扇子を折成の首元にやると、深守は折成を睨み返した。
(堪ったもんじゃないわ。結望の命は一つだけだと言うのに。それに今までだって……あぁもう! これだから鬼族はニガテなのよっ)
深守は怒りを抑えることが出来なかった。が、何とか平静を保ち続ける。
結望にこの事が知られてはならない。自分達の中で完結させなければ、出なければあの子をもっともっと悲しませることになる。
「良い? アンタ達のやってる事はおかしいの。早く気づきなさいよ」
「別に俺らは…間違ってねぇ」
「間違ってるわよ。鬼族にも事情があるのはわかるけどサ。正直何か他にも方法があるはずじゃない?」
「…ねぇよ」
「有るわよ」
「ねぇよ! だから近いうちあいつを連れてくって言ってんだ」
「それはさせないわよ。絶対に」
お互い一歩も譲らず啀み合う。何ならアンタだって傷付けたくない。深守は訴え掛けた。
その時、遠くから人の声が聞こえてくるのがわかった。折成はまだ気づいていないようだが善意で伝える。我々の敵が来ると。折成は「チッ」と舌打ちをする。二人は別れ、逃げる事を最優先にした。
何故、我々は人間に手を出さないよう逃げるかといえば、人間に危害を加える事に意味をなさないからだ。関係性を元に戻せないのであれば、余計な事はしない。それに尽きるのである。
(最も、妖葬班より弱いコ達の方が多いのもあるわね…)
それこそ彼らは見つかり次第やられてしまい、つくづく、この村周辺で生きることの難しさを思い知らされた。
それに、神様だろうと鬼族だろうと妖だろうと向こうにとっちゃ関係ない話。逃げるか殺すかのどちらかしかないが、好んで人間を殺す程我々は幼稚ではない。
誰にも手を加えず、結望を守れたら――それが一番だ。
深守は狐の姿に戻ると、遠くから様子を伺った。
――一方で折成は、逃げ隠れながら先程の会話を振り返っていた。
流れであんな事言ってしまったが“これ以上”誰かが死ぬのを見るのはもうごめんだった。だがそれを伝えたところで何も意味が無い。“あの人”は絶対に俺達を許さない。ただ邪魔者を排除して、“あの御方”の為に尽くし続けるだけだ。
(どの道狐と俺は生きる世界が違うんだよ。ふざけるな! 俺は、……俺は何も悪くねぇ!!)
もう一度舌打ちをすると、走る速度を上げたのだった。
日が落ちる前には帰らないとと思いつつ、楽しくて時間があっという間に過ぎてしまう。私と昂枝は窓の外を見てはっと気づいた。
「もうこんな時間か」
「いつも引き止めてごめんね」
想埜は困った様に言う。
「そんな事ないわ。私達が此処にいたいだけなの」
「あぁ、そうだな」
昂枝と頷き合う。想埜は今にも泣き出しそうな目をしながら帰り支度をする私達を手伝ってくれる。午前約束したぬか漬けは予定通り明日、昂枝が受け取りに行くとの事で一旦お暇することになった。私は明日の夕飯の献立を考え始める。
「畑までだったら送るよ」と想埜が戸口に向かって行き勢いよく開ける。すると目の前には見覚えのある袖なし羽織を着た男の人達が立っていた。
「あっ……」
想埜はそれを見るとさっきまでの表情とは裏腹に真剣な顔付きになる。
「楸想埜、少々話を伺っても良いか」
手前に立ち想埜に話しかける男の人、確か…。
「…えぇ、何でしょうか。海萊さん」
海萊さん。そうだ、妖葬班の中でも活躍が目まぐるしく、次世代の担い手になるだろうとされている人。キリッとした顔立ちに、肩くらいまである髪の毛を半分だけ結っているのが特徴だ。そして、首元には妖葬班の各班長を意味する銀灰色の飾りを付けていた。
「近頃何か変わった事はないか」
「いえ、特に何も…」
想埜は何の事だ? と考える。私達二人も顔を見合せた。真剣な面持ちだから何かとんでもない事が起きたのかと思ったがそうではなさそうだ。それを見て海萊さんは「そうか…」と顎に手を当て考える。後ろにいた班員二名は何も喋らない。片方は初めて見る顔だがもう片方は見た事があった。というより、この人と海萊さんはいつも一緒にいる気がする。
「ここ最近、この近くに妖がいるとの噂を聞き付けた」
海萊さんは言った。妖葬班の事だ、妖関連だとは思ったが、正直な話わざわざ言いに来る事だろうか。普段からあれこれ構わず退治している印象しかないのに。だから私はこの集団が苦手だった。
それなら仕方ないと呟くと、海萊さんは踵を返す。
「不審なことがあったらすぐ伝えるように。…宮守の者達もな」
私を見ても何も言わず、軽く手を振るとそのまま歩き出した。後ろにいた班員の片方はこちらに軽く会釈をすると小走りで海萊さんの後ろについて行く。もう片方の班員はと言うと、想埜を見て申し訳なさそうな顔をした。
「……ごめんなさい。想埜、皆さん」
私達三人を見て謝罪をする。
「あっ、えっと、気にしないで良いよこれが仕事なんだし。それよりお疲れ様、海祢」
「…ありがとう」
海祢と呼ばれた青年は頭を下げる。関係性を知らない私は二人を交互に見た。それに気づいた海祢さんは「あ」と声に出すと教えてくれる。
「僕、波柴海祢と言います。想埜とは従兄弟なんです。因みにさっきの海萊は…うちの兄です」
「従兄弟…?」私は口を押えた。成程、合点がいった。
「まさか海萊さんが想埜の従兄弟だったとは…」
小さな村だ。全然有り得る話なのに驚きを隠せなくなってしまった。確かに、海萊さんと海祢さんは何処と無く雰囲気が似ている。想埜とも瞳の色が近く藍色だ。
「あはは。少しだけ血が繋がってるのにオレなんかより大分凄い人だよね」
「兄弟から見てもそうだよ」
想埜と海祢さんは笑う。
「…っといけない。また時間があったらよろしくね」
海祢さんは仕事中だ。きっと一緒にいた二人も向こうで待っていることだろう。何度か会釈をすると走って行った。
「妖葬班の人に知り合いが出来ちゃったな…」
絶対に近付きたくなかった人達に、しかも想埜の従兄弟と。お兄さんも…。
「嫌だった…?」想埜が心配そうに覗き込む。私は首を横に振った。
「ごめんね、そういうのじゃないんだけどちょっとびっくりしちゃって」
「まぁそんな頻繁に会う訳じゃないし大丈夫だろ」
昂枝は私の頭にぽんと手を置く。それもそうだ。たまにこうやって会話する程度の関係なんだから何の心配もない。でも海祢さん、あの人は雰囲気が他とは違って見えた。彼も私を見て何か言うわけではなかったし、休日とかだったら皆で顔を合わせてみても…大丈夫な気がした。
私達もしばらくしたあと想埜と別れ、宮守へと歩みを進めた。
先刻、楸家に足を運んだ三人の妖葬班は結望と昂枝の少し先を歩いていた。
「例の妖の件だが」
海萊は足を止めることなく話を進める。
「想埜で間違いないと思う」
「えっ? でもあの人、人間じゃないですか」
一人の若い班員は驚き立ち止まる。その横で海祢も無言になってしまう。海萊は確かに妖を探すのが上手い。だが、相手は従兄弟の想埜だ。常日頃から会う訳じゃないが、親族として稀にだが村で会っている。
「年々あの周辺だけ強くなっているんだ。あいつは他の妖同様“逃げ隠れていたつもり”なんだろうが見え透いた嘘じゃ誤魔化せん。万が一があれば捕獲対象になるだろう」
それを聞いて海祢は海萊を引き止めた。
「なんだ海祢」
「兄さん、あの……」
「従兄弟だから同情してるのか?」
図星だった。想埜は大切な従兄弟で、友達みたいな関係性だ。そんな人に“捕獲対象”だなんて言葉を使いたくは無い。だが兄の海萊は違う。妖そのものを消滅させようとしているこの人は相手が血族でも関係無い。そもそもの話、想埜を怪しむ要素が何処にあるというのだ。ご両親は至って普通の…、思えば親族なのに顔を見た事がなかった。
「何の為に妖葬班に入ったか思い出せ。…行くぞ」
海萊は手を振り払うと、苛立ちながら歩き始めた。それを見て二人は何とも言えない面持ちでついて行くのだった。
想埜は友達二人と妖葬班の三人を見送り一人になると、戸口を閉めその場に崩れ落ちた。汗を流しながら顔を手で覆う。動揺で目は泳ぎ、息も少しばかり上がっている。
「嘘だ…」
両親との約束を守っていたのに、どこでどう間違えたというのかわからなかった。妖葬班に居場所を掴まれるなんて。もう、此処には居られないのか。この先どうしたらいいのか、誰も教えてくれやしない。
ならばいっそ死んでしまおうかと立ち上がり包丁を手に持つが、それも震えから落としてしまった。自身の弱さに失望する。そうだ、明日また昂枝が来ると言っていた。宮守の人なら何でも願いを叶えてくれるのでは。そう思ったがどう考えても馬鹿で無駄な事だ。人に罪を着せることは出来ない。
そもそも自分は何故、人を避け暮らしているんだっけ。もう忘れてしまった。
あぁ、もういっその事妖葬班に全てを任せてしまえば良いのかもしれない。海萊さんこそ何でも引き受けてくれるはずだ。言えば良いんだ。
「早く殺して下さいって…」
落胆しながら想埜は涙を流した。
「嘘だ…」
両親との約束を守っていたのに、どこでどう間違えたというのかわからなかった。妖葬班に居場所を掴まれるなんて。もう、此処には居られないのか。この先どうしたらいいのか、誰も教えてくれやしない。
ならばいっそ死んでしまおうかと立ち上がり包丁を手に持つが、それも震えから落としてしまった。自身の弱さに失望する。そうだ、明日また昂枝が来ると言っていた。宮守の人なら何でも願いを叶えてくれるのでは。そう思ったがどう考えても馬鹿で無駄な事だ。人に罪を着せることは出来ない。
そもそも自分は何故、人を避け暮らしているんだっけ。もう忘れてしまった。
あぁ、もういっその事妖葬班に全てを任せてしまえば良いのかもしれない。海萊さんこそ何でも引き受けてくれるはずだ。言えば良いんだ。
「早く殺して下さいって…」
落胆しながら想埜は涙を流した。