深守は考え事をしていた。
結望が落ち着きを取り戻した後、改めて着物のほつれを直す作業に入っていた為だ。まだ時間は十分にあったから…というのもあるが、何より彼女も、裁縫などの細かな作業をしている方が気が休まると思ったのだ。
用意してくれたお茶を飲み干ししばらく見守った後、洗濯物を取り込むと伝え外に出た。
一人になった今、それこそ自分の時間だ。己がやれることはただひとつ。鬼族の動きをいくらか予測し対策を練ること。
(鬼族の狙いが結望という事と、その理由もわかっているのに…)
正直、どう攻めてくるかが長年生きてててもわからなかった。
明日また来るのか、一週間、はたまた一ヶ月後なのか…。“結望の誕生日に合わせて”来るのか…。
(………)
後、昨日結望を攫おうとした折成。彼は自分の中で、そこまで問題視はしていない下っ端の一人だ。ただ、結望を連れて行くにあたって、武器を使い、邪魔する者を排除しようとするには違いない。
(まぁ、そんな簡単に行くわけないって話なんだけどね…)
洗濯物を全て取り込むと、今度は畳む作業に取り掛かる。一番近くにある狭めの座敷に運び直し腰を下ろすと、考え事の続きをしながら洗濯物を一枚ずつ、丁寧に折り曲げていく。
――折成は槍を駆使する。鬼族は妖の中でも強いとされていて、鬼族が共通して持つ能力…正確には能力ではないとされているが、“怪力”がこの先不安要素となる。馬鹿力を持つ鬼族である折成が槍を使えば威力は抜群。どれだけ固くて太い木の幹だろうが一発で倒してしまう。
鬼族が他と違うところはそれだけではない。鬼族は一般的な妖とは違う特徴をしていた為に、名前を鬼族と名乗り一族でまとまって暮らしている。寿命は二千から三千とも言われ、正直定かではないところも不思議だ。
因みに他の妖はそれぞれ個体差があり、与えられた能力もまちまち…。力を使い切った時が寿命だとも言い伝えられており、長生きしたいものは使わずに千年単位で生きている。
(アタシは神様…と名乗っているものの、言ってしまえば妖狐の類なのよね)
そんな自分の能力は“治癒”。怪我や病気をした時の回復力が他より長けており、それは勿論他人にも使える。目の前で危険だと判断した時に式を出して守ることも、それなりには可能ではある。
(…何だか、こうなる事がわかっていたかのよう)
自分の能力と、今の状況を比べて苦笑をしてしまう。回復力があっても、鬼族に対抗できる程の力がなければ意味はないが、無関係な能力ではない。
だが、“この十数年”アタシは力をつけてきた。全てこの時の為に。
(結望の為に存在できるなら、本望ね…でも…)
まだ、何も知らないでいて欲しい。後で全部話すから、今は――。
(結望……)
「深守…」
ハッとして顔を上げる。目の前には首を傾げながらこちらを見つめる結望の姿があった。
「深守、そろそろ私…夕飯を作ります」
「あ、お裁縫は終わった…?」
「はい…おかげで捗りました。心も、大分休まったようです」
結望は着物を顔の元へやると優しく微笑んだ。それを見てほっと胸を撫で下ろす。
「…そう、よかったわ。アタシも畳み終わったら一緒に夕飯、作ってもいいかしら」
何となく、聞いてみる。もし自分が邪魔ならそれはそれで一人にさせてあげたいと思っていたが、結望は特に間を開けることなく「是非、一緒に作りましょう」と嬉しそうに笑ったものだから、彼女の優しさに甘える事にした。
―――ということで、夕飯の支度に取り掛かる。
「深守はご飯も作れるんですか…?」
私はふと聞いてみる。
「あぁ…えぇと、実は…ご飯ってのは作ったことがなくて…ねぇ。アタシみたいなのは食べなくても生きていけるもんだから、ついその場の勢いで言ってしまったよ」
申し訳なさそうに、頬をかきながら深守は言った。どうやら神様達に食事は必要ないらしい。人間や動物の類ではないのは理解出来る為、そこまで驚きはしないけれど、不思議な感覚だった。
「…あ、全然大丈夫ですよ。なんだか深守、何でも出来ちゃいそうな雰囲気を感じたのでどうかなと。…お洗濯とかもやってくださいましたし」
「あれは…見様見真似ってやつね」
「見様見真似…?」
「ふふふっそう、見様見真似」
「……じゃあ、ご飯もすぐ出来るようになっちゃうかもですね。あれ、でもご飯食べなくても平気…なら、覚える必要はないですね…? でも…、昨日の夜も今日の朝も、一緒にご飯を食べていたような…」
私は思い出して混乱する。
それを見て深守はクスッと笑った。
「絶対食べないってことはないのよ。ただ、食べなくても生きていけるからそこまで気にしたことがない…ってだけで。だからね、教えてくれる?」
「なるほど…ふふっ、わかりました」
私は深守に包丁を手渡すと、まず最初に切り方を教えていく。
「――えっと、簡単なものから…今日は一番の色として人参を使います。こうやって……」
人参を縦に持つと、包丁でスルッと皮を剥いて見せた。途中で交代し、深守がゆっくりと剥いていく。やっぱり上手だ。難なくこなしてしまい、「できたわ」と見せてくれる。
「お見事です。とても綺麗…。えっと、次は輪切りをしていきましょう。お野菜とか、丸い形のものを一定の大きさで切ることを輪切りって言います。知っていたらすみません」
今度はまな板の上に、人参を横向きに置くと、トントンと包丁を鳴らした。
「ただ切るだけなので初歩すぎるかもしれませんが…」
「なるほど、やってみるわ」
深守は私が切った人参の大きさに合わせてサクッと切込みを入れた。それを繰り返すこと数回。とても綺麗な輪切りが沢山出来た。
「端と端は食べないので処分で構いません。…あ、それからこんなのも…」
私は輪切りから更に切り込みを入れていく。時間がある時にやるちょっとした工程。
「…へぇ、輪切り…? からそんな可愛らしいものができるんだねぇ」
「…はい。桜とか作れちゃいます。添えるとかわいくて、ついついやってしまうんですよね。朱色が映えるというか…」
私は手のひらにそれを載せると、深守の方を向いて見せた。
「ふふ、結望っぽいわね」
「…へ?」
深守は私の手のひらから人参を摘む。
「カワイイってコトよ」
「…っ、恥ずかしい…です」
私は手で顔を覆った。昔お母様にかわいいと言われたことがあるのは覚えているけれど、異性に…しかも神様に言われるなんてこの人生で一度も考えたことがなかった。
(昂枝もそんなこと、言う人ではないし…)
火照った顔を元に戻そうと手で仰ぐ。
「…美味しいわね、人参」
ぽりぽりと口の中を鳴らしながら深守は呟いた。
私はそれを見て「あっ…」と声を上げるが、料理に興味深そうな深守を見ていたら、何だか初心に戻ったような気持ちになってきた。自分もこんな感じ、だったのだろうか。
「深守。今度は自分で桜、作ってみませんか?」
私は提案してみる。深守も「頑張ってみるわ」と包丁を握りしめると、丁寧に、丁寧に切り込みを入れていった。
そんな風にゆっくりと着実にご飯を作っていく。
深守は先程と同じように、竈の火の番をしながら味噌汁作りを覚えていた。というより、もう覚えてしまった。同じ要領で他の野菜も渡したらすぐ終わらせてしまったし、雰囲気で…と言っていたが硬いものからちゃんと火に通していた。何も言わずともやはり出来てしまった。
(流石神様…?)
「……結望、お味噌は最後でいいのよね?」
「あ、はい。火から下げた後にお願いします」
深守は鼻歌交じりに残りもこなしていく。その姿は初めて料理する人には見えないくらい手際が良かった。
私もお魚を焼きつつ、炊き上がったご飯を茶碗によそう。
「…結局、深守に教えることはあまりありませんでした」
「おや? アタシは結望から沢山学んだけどねェ」
お椀に味噌汁を注ぎながら微笑む深守はやっぱり楽しそうだ。
「…魚もいい香りね」
「はい、いい感じに焼けました」
お皿に焼いた魚を盛り付ける。大根をおろすか迷ってしまうけれど、明日にして今日は辞めておくことにした。しかし何かが足りない。
「…あとは、お漬物かしら…?」
「ここよ」
「…ありがとうございます」
必要なものがお膳に揃ったところで、今夜の夕飯が完成――。
「ふふ、無事に完成しました」
私はぱちぱちと手を叩く。いつもやっていることなのに、特に充実していたように思う。
「そうね…。ちょいと心配だったけど、料理は楽しいってのを学んだわ」
ほかほかのご飯を見ながら深守は言った。
「本当ですか?」
私はなんだか嬉しくなり、バッと深守の方を向いた。
「えぇ、苦じゃなかったわ」
「それはよかったです」
「これも結望のおかげ…。かもしれないわね」
「…私?」
「ここは素直に受け止めときなさい。ね?」
深守は私の頭にぽんっと手を置くと、目線を合わせて微笑んだ。私が大人しく頷くと満足したように尻尾を揺らしたものだから、嘘じゃないことに安堵した自分がいたのだった。
――お膳も運び終わり一段落した時、丁度良く玄関が開く音が鳴る。
「あ~、疲れた。…結望、狐。今帰った」
「…あ、昂枝。おじさんおばさんもお勤めご苦労様です」
私は帰ってきた三人に会釈をする。
「ただいま結望ちゃん。お留守番ありがとうね」
「いいにおいだな。深守さんも手伝ってくれたのかい?」
「…えぇ、結望に教わりながら」
深守は私を一目見た後、トントンと包丁を使う素振りをしてみせた。二人は「へぇ」と関心の声を上げる。
そんな中、昂枝は私へ耳打ちするようにこっそりと「……何もされてないか?」と呟いた。
「…ほら、相手は神とはいえ男なんだぞ。何かあってからじゃ遅いからな」
深守を一瞥すると、昨日と同じように警戒心を顕にした。
「あら、アタシが何だって?」
「げっ」
深守は昂枝を覗き込む素振りを見せた後、腰に差していた扇子を取り出すと口元を隠した。笑っているが目元は笑っていない深守の表情に、昂枝はサァッと血の気が引いていた。
「何が『げっ』よ。アタシがそんなことするわけないでしょう。ねぇ? 結望」
「えっと、はい…」
「どっからどう見ても怪しい奴だろうに…。結望は警戒心が無さすぎるぞ」
「…あらヤダ失礼しちゃうわね。全く、狐の姿だったらよかったのかしら?」
「狐の姿ァ?」
出会って二日目とは思えない程、彼らは仲良さそうに子気味よく会話を紡いでいく。
「あ…」
聞いていて、ふと思い出す。この前見た狐のこと。私は咄嗟に「あの時の狐って…」と口に出していた。
昨日言い出せなかったこと。一週間前に会ったあの狐は、あなた――?
「……」
深守はほんの少し困惑した様に、だけど嬉しそうな表情を浮かべると一度頷いた。
「足…鼻緒擦れ起こしてしまったの、治してくれたの深守、です…よね…?」
「あぁ、この前言ってたやつか」
昂枝は思い出したように呟く。
「…ふふふ、ご名答」
そう言うと、深守は私を抱き締めた。
「ずっと会いたかったのよ、結望」
先程と同じように優しく包み込まれ、言葉を失う。自分達だけならまだしも、今は宮守家の三人も揃っているのだ。
「なっ…!?」
昂枝は目を丸くして固まる。
「し、深守…恥ずかしいです…」
皆には言えないけれど、これでも沢山泣いて慰めてもらった後なのだ。それが露呈してしまったら全員に迷惑がかかってしまう。何より、昂枝が勘違いして深守を追い出すかもしれない。それは、嫌だ。
「…結望に気安く触れるな!」
「あいたっ」
昂枝は持っていた笏で深守の首をトンッと弾く。
「んもう…アタシと結望の仲なんだからいいじゃないの」
「お前だからだよ! 昨日出会ったばかりの、…いや、一週間前出会ったばかりの男…よく考えたらお前は喋り方といい本当に男なのかも謎だな。尚更結望を触る権利無し!」
そう言うなり私の肩を抱くと、無理矢理深守から私を引き剥がした。
「た、昂枝…」
「……で、自分が触るってワケね」
くつくつと深守は笑う。
「~~~ばっっっっかじゃねぇの!!」
昂枝は何故か顔を赤くすると、私から身を離した。
「す、すまん…」
「…? うん」
「……ちょっと三人とも、早くしないとご飯冷めちゃうわよ?」
間を見計らってか、おばさんが声をかけてくる。私達はご飯を他所に喋って、尚且つ二人を無視していた。申し訳なさでいっぱいになり、慌てて定位置に移動する。
「…座りましょうか」
改めて考えると、おじさんおばさんに見られていたのがとてつもなく恥ずかしく思えてくる。
(……だけど、深守があの狐ってわかってよかった)
不意打ちではあったが、話の流れを作ってくれたことに感謝した。
「――では頂くとしよう」
おじさんの挨拶と共に、私達は夕飯を食べ始める。
やっぱり楽しく作った料理はいつもと同じ食材でも、とびきり美味しく感じてしまうのは不思議で、ちょっとした幸せなのかもしれないと思った。