記念日

 あれから約一ヶ月が経った。

 鬼族の長である羅刹様とその息子である空砂さんの死によって、鬼族には先導者が居なくなってしまった里は、羅刹様と血の繋がりのある私を鬼族の長に選んだ。女性が治めるなんて、と思ったがどちらか言うより、血を途絶えさせるのは鬼族にとって避けたい事だったのだろう。それに結婚さえすれば、この先もきっと安寧だ。

 ――とは言ったものの正直、産まれて十七年、小さな村の一角で過ごしてきた私が、いきなり鬼族を統べる者の一人になれるとは思えなかったけれど。

(そもそも鬼族の為に死ぬ生贄だったし…)

 手のひら返しが早くて、少しだけ怖いような。

 だけど、半分人間では無い私が人里に住み続けるのも難しい話でもある。

 例の一件で海萊さんが先駆けて動いていたらしく、多少は緩和されているものの、今も尚、妖葬班の活動に変わりはなかった。私が鬼族だという事も、きっと村人は耳にしているだろうし、もしくは最初から知っていた可能性も零ではない。こればかりは時間を掛けて、人間と妖が手を取り合えるように動いていくしかなかった。

 因みに妖葬班でもある海祢さんはというと、海萊さんと和解し、今では協力関係にあるという。想埜も波柴家に身を寄せて、二人を支えている。

 あの海萊さんは自分の罪を認め、変わろうとしていた。とはいえ向こうの立場からしたら、正しい事はしていたけれど。

 ……していた、よね…?

 内部事情を詳しく聞いていない私は頭を拈った。昂枝は口を閉ざしてしまったし。

 とはいえ、海萊さんがこちら側に付いてくれるとなると、かなりの大助かりだ。村の中では信頼度が高い彼だからこそ、出来る事は沢山ある。

 前に進んでいる気がする。

 だから落ち着くまでは、多少住みやすい鬼族の里でお世話になり、村と里を行き来する生活を続けて、鬼族の長についても――そのうち良い返事が出来るよう、考えなくてはならない。多分…。

 そもそも、ノコノコと宮守へ戻っても、おじさんとおばさんにどう接したら良いのかもわからない。

(でも、昂枝がきっと口酸っぱく両親を説得してそうね)

 ここも少しずつ、関係を戻していこうと思っている。

「結望姉~!」 

「わぁっ」

 考え事中突然現れた成希さんに、私は身を捩って驚いてしまう。

「結望姉考え事? 鬼族のお姫様なってくれる準備できた?」

 成希さんは背中から抱き着きながら言った。

 一緒に来たであろう折成さんは「コラ成希」と首根っこを掴んで引き剥がした。

「えー、いいじゃん私結望姉好きだもん」

「良くない」

「ケチ」

「…お前も言うようになったな」

 あはは、と成希さんが笑う。

 すっかり日常が戻ったみたいで、微笑ましい雰囲気だ。

「――失礼いたします」

 そして襖を開けて私の元へやって来た人がもう一人。

「ご無沙汰しております。結望様」

「あ、黄豊さん」

 名前を呼ぶと、黄豊さんはにっこりと微笑んだ。

 襖をそっと閉じて、私の座っている文机の前へやって来ると、静かに腰を下ろす。

「中々お会い出来ず申し訳ございません」

「い、いえ、黄豊さんこそ…お忙しくありませんか?」

「有難いことに、少しだけですが」

 彼女は羅刹様の死後、男性達と共に社の改修作業を行っていた。間取りなどを明確に覚えている記憶力を持つ彼女は、現場で大活躍しているそう。

「それで、何かあったんですか…?」

 私は筆を置くと、黄豊さんを見据えた。

「結望様にお返ししたいものがございまして。機会を伺っていたのですが……今になってしまいました」

 そう言うと、彼女は小さな木箱を差し出した。

「木箱…?」両手で受け取りながら呟く。

「貴女様の大切な物です。…きっと命より大切な物かと」

 私は木箱の蓋をそっと開ける。そこには、あの時返して貰えなかった、深守がくれた小さな笛が入っていた。

「宝物?」後ろから覗き込んだ成希さんが問う。

「……えぇ、宝物」

「見た事ない! 凄く綺麗」

「へー、篳篥よりも小さいんだな」折成さんも覗き込んで言った。「狐からの土産か?」

「そんなところ、です…。でも返ってくるとは思わなかった…から」

 嬉しい気持ちは然る事乍ら、何故綺麗な状態で戻ってきたのか戸惑ってしまう。

「実は儀式の日…寝間着に着替えさせた後、空砂様から『そいつはしまっておくのじゃ』…と。……私、管理役も務めておりました故の奇跡、無事にお返し出来て幸せでございます」

 黄豊さんは、やっぱり見た目に反してにこやかで、愛嬌が良い。それでもって空砂さんの声真似までしてしまうのだから、ふふっと笑みが零れてしまう。

「凄く凄く嬉しいです…。ありがとうございます」

「えぇ」黄豊さんは満面の笑みで頷いた。

「――そういえば、二人はどうして此処へ?」

 折成さんと成希さんを見ながら私は言った。

「お姫様になって! って言いに来たの」

「……まぁ、間違いではないんだが…。もう一ヶ月経つし、聞いて来いと言われてしまってな。里の人達は皆お前待ちだ」

 私は、聞くべきじゃなかった、と手で口を抑えた。二人…いえ、皆からの圧力が直ぐそこまで差し迫っている。

「な、なるべく良い返答はしたいのよ…? でも、でも私…統率する力なんて持ち合わせてないもの。それに深守も起きてくれないし、一人でやっていけるかどうか……」

 私は唸る。

「狐婆頼られすぎだろ」

「だ、だって……だって……」

「はいはいお前が狐の事好きなのはわかった残念だな宮守昂枝」

「なんでそこで昂枝が出てくるんですか…っ」

「俺がどうした!!」

 状況を見計らったように突然現れた昂枝に、その場にいた全員が目を見開いた。

「なんでいるの…!」

「ははーんさては俺と結望が一緒なのに嫉妬したか? ま、こいつの隣で狐も寝てるけどな」

 けらけらと折成さんは笑う。

 本当に、日常が戻ってきている。

「じゃかあしいわ! ったく…俺も村と里を行き来する身だからな。居てもおかしくはないだろう」

 昂枝はその場にドカッと胡座をかくと、折成さんを睨みつけた。

 折成さんは「おー怖い」と舌を出す。

 そして私の方を向いて言った。

「まっ良いじゃねぇか。皆から期待されてんなら、応えてやれよ。なんなら、村と鬼族どっちも統べてしまう勢いでどーんとやっちまえ!」

「えぇぇ…っ」

「結望姉、どーんとやっちゃえ!」

「私も、結望様についていきますよ」

「き、黄豊さんまで……」

 二人に目を輝かせながら見詰められて、私は恐縮してしまう。本当に、私なんかで良いのだろうか。……後悔、しないだろうか。

 だけど、このまま有耶無耶にし続けるのも良くはない。嫌ですときっぱり伝えるのも、私の様な性格ではできっこないことは自分でもわかりきっている。だったらもう、ここで腹を括るしかない…気がする。

「な、なら…。まずは……お、お試しっていうのは……どうでしょうか」

 小さく手を挙げて、私はか細く言った。

 ぷるぷると震えながら宣言したものだから、鬼族の三人はきょとんとした顔でこちらを凝視した。

 そして、一定の間が開いた末、

「…っ! やったー! 結望姉がお姫様だー!」

「やりましたね、成希さん!」

 成希さんと黄豊さんは両手を合わせて喜んだ。

「早速皆さんにも伝えに行きましょう」

「ほらほら、結望姉も立って!」

 二人は喜色満面の笑みでそう言うと、こうしちゃいられない、と勢い良く立ち上がった。

 それとほぼ同時に、私もひょいっと立たされてしまう。終いには両脇をがっちりと抱えられてしまい、逃げる術を無くしてしまった。

「お、おおおお試しなんだけど……っ」

「それでも嬉しいの!」成希さんは手舞足踏しながら言った。

 そしてあれよあれよと座敷から連れ出されてしまい、里の住居が建ち並ぶ所まであっという間に辿り着いてしまう。

 成希さんが「おーい」と鬼族達を呼ぶ。

 里の人達は、成希さんの呼び声に反応すると、ぞろぞろと集まり始めた。内心、どうしようどうしようと冷や汗が止まらなかったけれど、私がやって来たという事は大凡の結果が見えている。皆はそわそわしながら言葉を待った。

 すぅ、と成希さんは息を吸い込むと、

「結望姉お姫様なるって!」

 その一言で辺りが大歓声に包まれた。

「あ、あの…でも、お試し、…お試しですから……」

 私は焦りながら言うけれど、全然耳を傾けてくれない。やっぱり里を統一する事なんて、私には無理なのではないか。

「はははっ、こりゃ誰も聞いてないな」

 隣で昂枝は笑う。

 他人事だと思って、と膨れっ面をしてみるけれど、昂枝は周りを見渡しながら、感慨深そうに頷いた。

「やっぱり…結望は引き篭ってるより、皆といる方が生き生きしてる」そう言いながら、昂枝は私の頭をぽんっと撫でる。

「ある意味で良い誕生日になったかもな」

「……そういえば、誕生日かも」

「え、忘れてたのか?」

「あ…、なんか…当たり前の様に十七になったなって、ふわっと思ってたけど…。そっか…って」

 ここ最近ずっと慌ただしかったから、忘れるというか、気にしないというか、無理もなかった。

 私達の会話に気づいたのか、成希さんが目を輝かせながら言う。

「え? 結望姉お誕生日なの? おめでとー!」

「うん、ありがとう」

「結望さん誕生日だとよ」

「あら、おめでたいわね」

 近くにいた老夫婦も私の誕生日の話題になる。

 どんどん伝染していって、皆が祝福してくれた。

 今日、産まれて初めて、誕生日を沢山の人にお祝いされているかもしれない。

 それは全くもって慣れない事だけれど、とても嬉しい。

 私はこれまでに無いくらい笑っている。私が生きる意味も、此処にあったんだ。そう思えるくらいに。

 だけど、だけど…深守はまだ眠ったまま―――。

(本当は一番最初にお祝いして欲しかったな…なんて)

 派手で、陽気で、場を明るくするのが得意な彼に。何もかも終わった後の誕生日は、今まで以上に喜ばしい、記念すべき日だから。

 後でしっかり伝えないと、私は深守に思いを馳せる。

 来年はお祝い出来るかな。今からそんな風に考えてしまうのだった。

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