杞憂であれと願った事は、儚くも散った。
私達は想埜の家に着くや否や、いつもと違う雰囲気に息を飲み込む。一見普段通りに見えるが、空気が著しく違ったのだ。庭の畑が荒れているのが何よりの証拠だ。
「想埜ちゃん、いるかしら…?」
「想埜~…」
念の為引き戸を数度鳴らし、想埜の返事を待つ――が、返事はない。代わりに「うぐ…」と呻くような声が中から聞こえてきたものだから、ただ事ではないと深守は勢いよく引き戸を開けた。そして中を見た瞬間、私達三人は目を疑うような光景を目の当たりにする。
「想埜…!」
私達は想埜の元へと草履を脱ぎ捨て駆け寄った。
彼は手足を縛られた状態で横たわり、致命的ではないものの血を流している。古民家の床が所々赤茶色に染まっているのは、きっと、全て想埜のものだ。
口も喋れないようにする為か、布を詰め込まれていた。それを真っ先に取り出すと、
「げほっ、けほけほっ。ぉえ…」
想埜は気持ち悪そうに吐き気を催した。
口を塞ぐにしても酷すぎる。
喋れるようになった想埜は、大粒の涙を落としながら、許しを請うように謝り始めた。
「ごめんなさい許して下さいごめんなさい許して下さいごめんなさい許して下さいごめんなさい許して下さいごめんなさい、ごめんなさい生まれてきて、本当に、ごめんなさい……。ごめんなさい…死んで償いますから……っうぅ…あぁぁぁ……っ」
何度も何度も必死に繰り返す。
「落ち着いて、大丈夫だから…」
何が起きたかは言うまでもないけれど、いつもにこにこ笑顔の想埜が号泣し死を訴えていることが、私自身耐えられないと感じた。それに想埜の性格を考えれば、きっと、例えそれがなんであろうと実行してしまいそうな危うさもあったのだ。
私は想埜を優しく摩る。
隣で深守と昂枝が縄をどうにかしようと動く。
「想埜ちゃん、少しの間動かないでね」
そう言うなり、隣で深守は閉じた状態の扇子を構える。親骨から少しだけはみ出ている取ってのようなものを、ぴしゃん、と上に弾くと、短刀――のようなものが飛び出してきた。
深守はそれを縄に当てると勢いよく切り刻んだ。想埜の細い手足に何重にもキツく巻かれた縄を解き、それを昂枝が回収する。
「……外れたわ」
想埜にぽん、と手を落とす。
すると自由になった手足を使い、がばっと身体を起こした。そして勢いよく私達の方に向かい「全部俺のせいなんです! 何もかも俺が悪くて…だからこのまま死なせて下さい……。俺を殺して下さい…!」
と叫んだ。
「……っだ、だめよ…!」
私は想埜の手を握り締めて止める。
その間にも患部から血は流れ続け、想埜の着物を赤く染めた。
――まるで夜中の深守のように。
「………大丈夫よ、大丈夫。アンタは、生きるべき人なんだから」
深守は想埜に優しく声をかけながら傷口に手を添える。彼は集中し、力を込めた。
手の内側、幹部の周りが小さく金色に輝く。深守は想埜に治癒の能力を使った。当の本人が使わなかった為、見るのは二度目だ。一度目は、私が鼻緒擦れを起こした時。
「っ…」
想埜は一瞬、苦しそうな顔をしたが、徐々に和らいだのかゆっくりと大きく深呼吸をした。
治癒の能力は心も落ち着かせるのか、想埜は冷静さを取り戻しこちらに視線を向ける。
「……ぁ、ありが…とう、ございます…」
「いいのよ。アタシには、これくらいしかやってやれないもの」
深守は普段と同じように想埜の頭をそっと撫でる。くすぐったいのか、少しばかり困惑している姿はいつもの想埜のようだった。
「…それで、原因は羽柴か…?」
昂枝は単刀直入に聞いた。
「…………」
想埜は静かに頷く。
「……信じたくはない、けど」
「───くそっ」
「だ、だけど…っ! 海萊さんも、海祢も、別に悪くないんだよ!」
二人を庇うように想埜は大きく否定した。
幾ら従兄弟とはいえ、やっていい事と悪い事がある。そもそも、想埜を痛めつける理由が私にはわからなかった。
「なんで庇うんだよ! 何されたのか自分が一番わかってるだろ…っ!」
昂枝は想埜の両肩を掴むと叫んだ。視線を合わせるが、想埜は昂枝から目を背ける。
「ち…違う…! それは、そうなんだけどあの人達はそれが仕事だから…」
「だからって…!」
「ちょいと落ち着きなさいよアンタ達」
スパンッ、と深守は扇子を左手のひらに落とす。このままじゃ埒が明かないと深守は溜息を吐いた。
「―――全く。まず、妖葬班の彼らがどうしてアンタを襲ったかからだよ。…確か結望は、まだ知らないんじゃないかい」
深守は扇子を少しだけぱらり、と開き口許を隠す。
私は頷きつつも、思っていたことを話す。
「……確かに、知らないけれど…。でも―――」
以前妖葬班である彼らに出会って、想埜は怯えていた。深守と関わりを持ち、自分の知らないところでも沢山会話を重ねていることも…なんとなく察してもいる。
そして先程の海萊さんの発言、想埜の拘束。一人暮らしの理由―――。
もしそれが本当のことならば。私は今まで知らされなかったけれど、多分、それは彼も知られたくなかったからで。
今更、だと思う。私は鈍すぎたと反省した。もっと早く気づいてあげられたらどれ程よかったか。
―――だけど、
「私は…、例えどんな想埜でもずっと友達だから」
これだけははっきりと言えた。
「……っ」
想埜はもう一度涙を流す。頬を伝った水滴が床へぽろっと落ちる。
「ぁ、あぁ…っ」
両手で顔を覆い泣く姿を見て、なんだか自分を見ている気持ちになった。そう思ったら、私は無我夢中で想埜を抱き締めていた。
抱え込まなくていい。別に泣いたっていい、男だから――とかそんなの関係ない。傍に甘えられる人がいることの安心感を教えてくれたのは深守で、その深守が私にしてくれたことを想埜にする。
ずっと、一人で頑張ってきたんだ。想埜と私はやっぱり、どこか通ずるものがあると勝手に重ねて見てしまった。特に想埜は私以上に大変で、相談出来る相手はきっと、深守と出会うまで昂枝だけだったはずだ。
「ぅっ…ごめん、ね…ゆの……。皆も、ごめっ……」
「想埜は…何も悪くないよ。死にたいなんて、言わないで。私達と、一緒に生きましょう…?」
想埜は私の背中へと腕を回す。縋るように、強く。
「……“普通の”人間に、生まれたかった」
神様の意地悪だ。
昂枝は仕事として、深守は同族として、彼を見守っていただろう。だけど、普通の人間が彼を仲間として見てくれる人など、何処にもいなかった。実際、血の繋がりがある従兄弟の二人でさえこうなのだ。いくら妖葬班と言えど、親族にすることではないことをしている。
私はそうなりたくはない。
そもそも妖がなんだというのか。妖は害ではなく、人間から故郷を奪われた被害者だ。今こうして必死に生きる想埜や深守、彼らが何をした?
答えはひとつしかない。何もしていないのだから。
昂枝は頭を抱えて呟いた。
「全部、終わってくれよ…」
―――と。