―――ふと、気がついた。
「…ん……あれ………」
深守はぼんやりとした視界を天井へ向けながら呟く。どうやら眠ってしまっていたらしい。身体は物理的にあちこち痛いが、結望の手当によりなんとかなっている。
ゆっくりと自分の身を起こし、布団の足元の少し先にある畳をぼうっと見つめた。柄にもなくのんびりしてしまった為全く寝ぼけが取れない。
そんな時、隣から「すぅ…すぅ…」と一定の律動で奏でられる可愛らしい音色が銀色の大きな耳に入ってきた。結望はあれから、ちゃんとお茶を用意して此処へ運んできたらしい。
おぼんに載ったお茶がふたつ。冷め切ってしまっているが、減っていない方の湯呑みを手に取ると、口縁に唇を当てた。冷めていてもわかる茶葉の香りを堪能すると、乾いた喉を潤す為に一気に飲み干した。
(やっぱり、お茶はいいわね…)
お茶を飲む度に懐かしさでいっぱいになる。
おぼんに湯呑みを戻すと、横で眠り続ける結望の頭を撫でた。
「そんなところで寝てたら風邪引くわよ」
本人に聞こえないくらいの小さな声で呟く。羽織も被らずに、本当に寒さ知らずの子だ。いくら三月とはいえ、まだまだ夜は寒いのだから心配になってしまう。
深守は布団を退かし結望の方を向くと、そっと身体を持ち上げて移動させる。
「んん…」と微かな声を漏らしたが、目覚めてはいないらしい。安堵しながら結望の上に布団を被せた。
「ゆっくりとお休み…」
深守は呟くと、子供を寝かしつけるように布団をぽんぽんと鳴らした。
本当は寂しがり屋で甘えたがりの結望。
何も変わらなかった。この子はずっと、昔から変わらない。泣き虫で、すぐくっついて…。いい意味でお人好しな結望は、深守の中で昔を彷彿させた。
だけどその分人一倍頑張り屋だから、宮守の人達にそれが出来なかった。自分が我慢して、頑張って。きっと昔、村人から意地悪された時も人前では泣かなかっただろう。幼馴染である昂枝にさえ甘えるのが苦手な彼女は、一人でいる時間こっそり涙を見せていたはずだ。
この十二年の間、もっと早く結望に手を差し伸べることが出来ていたらどれほどよかったか、と今でも思う。
だけど、“あの時”救えなかった命の意味を受け入れられなくて、絶対に守るべきこの子をどうしたらいいのか考える時間も足りなくて、ずっと動き出せなかった。
なんて言い出せばいいのかいまだにわからない。知られずに守り切るなんて張り切ったこともあった。
結望は絶対に知らない方がいい事。だけどそれは、結望の母である“紀江(きえ)さん”の死を無駄にするような気がして行動に移せる自信がなかった。
彼女は病死でも事故死でもない。
―――紛れもなく“鬼族に殺された”のだから。
どう説明するのが最善だというのか。
“生贄”がこの世に存在することは知っていた。だけどまさか、彼女が捧げられる側だとは思ってもみなかった訳で…。
気づいてからじゃ、遅い。
何もかも遅すぎた。彼女も一人で抱え込む性格なのは知っていたけれど、言われなきゃ気づけない大切なことを訴えてくれなかった。
鬼族のために身を捧げた紀江さんは常日頃から『結望を守って』と呟いていたけれど、それがこんな結果を招くとは思わず恐ろしくなった。あれから人間と鬼族の間に何が起きたのか出来る範囲で調べ尽くして、腕を磨いて、今ようやく此処にいるけれど。
そこまでしてやっと理由を知って、どうして言い出せなかったのかを理解した。
彼女は我が子だからという理由だけではなく、本能のままに絶対に結望のことだけは助けてと、ずっと救いを求め続けていたのだ。
結望を一人置いていってしまった彼女のことを思うとやるせなかった。
あの瞬間、結望を連れて遠くへ逃げ出そうとも思った。
思ったけれど―――。
すやすやと眠る結望を見ながら言った。
「ごめんなさい、結望……。アンタは十分に強い……弱いのはアタシなの………」
こんな直前になってしまってごめんなさい。怖気付いてごめんなさい。有耶無耶な状態でいることもごめんなさい。
あれから結望を危険な目に合わせない為に力を付けたはずなのに、折成にやられて助けに行くのが遅れてしまったこと。勝手に出歩いて空砂と一悶着してしまったこと。怒られて当然のことを今でも沢山し続けている自覚はあるのに。
それなのに結望は怒ったりしない。本当にいい子で、守るべき彼女に甘えてしまう自分が存在する事が情けなかった。
(結望が苦しんできた分、これから苦しめるかもしれない分、全部アタシにぶつけておくれよ。でないと罪悪感に飲まれて死んじまうから…)
もう一人にさせないから、どうか我慢しないで身を委ねて欲しい。
怒り、悲しみ、全てをこの身で受け止める。命をかけてでも守り抜くからそれで許して欲しい。
いずれ全部、ちゃんと伝えるから。
深守は頭を垂れ、静かに謝罪した。
「………あ」その先で、目を覚ましたらしい結望が瞬きを数回繰り返す。
「……ん…あれ…………?」
不思議そうに、彼女は目を擦りながら深守を見つめた。
「…………おはよう、結望。よく眠れたかい?」
「……! 私、もしかして深守のお布団で、怪我人を差し置いて……っ」
眠る前のことを思い出したのか、ばっと身体を起こすと結望はあたふたしながらぺこぺこと謝った。
その姿が可愛らしくて、愛おしくて、やっぱりこの子を守ってやらなきゃと何度目かの誓いを立てる。
「…いいのよ。目覚めちゃったの。身体も大丈夫だから、心配しないでね」
「……それなら、よかった…。でも…包帯はそろそろ変えましょう。…血が滲んでるから」
結望は深守の右手に手を添える。
結局、また甘えてしまう。優しさに抗えなかった。
―――結望と深守のやり取りに聞き耳を立てる者が一人。
「…………」
昂枝は壁を背もたれにして両膝を抱えて座りながら、静かに溜息を吐いた。
「……俺は、どうしたらいいんだ」
頭を埋めると、そのまま叫びたい感情を押えてじっと時が過ぎるのを待ち続けた。