卯月中頃に差し掛かったある爽やかな晴れ空の元、私は白無垢に身を包んでいた。
「あぁ、緊張が止まらないわ…」
私は化粧を施す黄豊さんに向かって呟いた。
「ふふっ、良いですね。素敵な緊張感ではありませんか」
「で、でも…こんな大々的にやってもらう必要なんて、あるのでしょうか」
緊張から頬を抑えそうになるのを、黄豊さんに「化粧が取れちゃうわ」と止められながら、むずむずする気持ちを爆発させていた。
「もう、結望様ったら…鬼族の姫様としての自覚を持って下さい。…それから、不安そうな顔も可愛いですが、晴れ舞台なのですから笑って下さい」
ほらほら、と黄豊さんは柄鏡を差し出す。
黄豊さんの化粧により、少しだけ大人っぽく映る自身を見つめる。
「……前は鏡を見る余裕なんて、正直無くて見れなかったんですけど…。黄豊さんのお化粧、凄く素敵です」
「えぇ、えぇ、私ですからねっ。結望様の為に腕を振るったんですよ」
きらきらした瞳で、黄豊さんは喜んだ。
「ふふっ流石です」
私は袖で口を隠しながら、笑みを零す。得意げな彼女の姿が、年上ではあるものの、やはり愛らしく思えた。
黄豊さんはそんな私を見て「それですよ、結望様」と私の両手を握り締めた。
「鬼族の長――姫君である結望様の結婚ともなれば、沢山の方が参列されます。心配かもしれませんが、皆一族の仲間です。深守様の事も認めて下さっております。だから心配なさらず、喜びを分かち合いましょう」
そう言って、黄豊さんは襖を開けた。
向かい側には、同じくして準備を終えた深守がこちらを見据えた。
「…………」
黙りこくる深守に段々と心配になってきた私は、慌てながら白無垢と深守を交互に見た。
「変、でしたでしょうか…」
「あっ、いえ……違うのよ。違うの…、以前もアンタの白無垢は見た事があったけど、何だか違って見えて…ね」
深守は照れ隠しをするように頬を掻いた。
「まさか、アタシがその相手になるとは思わなかったけど…ふふっ何だか嬉しいねぇ」
「私も、この日を迎えれて嬉しいです。……それに、し…深守もかっこいいです。落ち着いた色のも似合って、ます…」
深守の晴れ着姿をまじまじと見て、私も今この瞬間を噛み締めた。
「やだァ~」
「わっ」
深守に見とれて頬が熱くなる私を、彼は結婚式が始まる事などそっちのけで抱き締めてきた。
「好き。本当に好き」
すりすりと顔を私にくっつけながら愛情表現をする深守に私は慌てて、
「し、深守…黄豊さん見てるし…お、お化粧崩れちゃう…っ」
と制した。
「ふふふ、ほんと仲良しですね」
黄豊さんはそんな私達を見ながら楽しそうに笑う。「むしろご褒美です。ふふふふっ」
なんだろう…、黄豊さんの趣味が今更ながらわかった気がする。
「も、もう…っ! 私先行きますからねっ」
耐えられない恥ずかしさから、私は深守から無理矢理離れると、スタスタと座敷へ向かっていった。
―――婚礼の儀。
それは夫婦となる二人が結ばれる為の儀式。
鬼族の民の意向により、種族関係なく、沢山の大切な人達が祝いに来てくれた。
そこには海萊さん達もいて、鬼族の皆と盃を交わしていた。その姿を見て、変わったのだと実感した。
「少しずつだけど、ちゃんと…変わっていってるんですよ」
隣に並ぶ深守に言った。深守も「えぇ」と頷いて応える。
式が終わり、私達は二人外を歩いていた。騒がしい空間にいるのも楽しいけれど、静かに自分達の時間を過ごす為だ。
「まだまだやるべき事は多いだろうけど、それでも、着実に前に進んでいるのね」
深守は眠りから覚めて間もない為、状況を全て理解するには時間がかかりそうだが、それでも嬉しく思う気持ちが募っていった。
「アタシも、早くそのお手伝いしなくちゃあいけないわ」
「……まだ無理しなくても良いんですよ?」
「アタシはもう大丈夫さ。力を使えないだけだから」
深守は手を伸ばして、じっと見つめる。
彼は私の為に力を使い果たした。深守自身や、昂枝達もそう思っていた。妖として生きていた彼にとって死に値する行為で――だけど、奇跡的に生きていた。何故、彼が息絶えることなく、眠り続けたのかはわからない。それは深守本人にもきっとわからない事だろうから。
だけど――。
「……深守」
「なぁに?」
「どうして、目覚めることができたんですか…?」
私は深守を見上げる。
繋いでいた手に、一瞬だけ力が籠るのを感じた。
「……アンタの母に会ったのさ」
「お母様に…?」
「そ、紀江ちゃんにね。アンタのところに戻りなさいって、言われたの。…きっとそのおかげ」
深守はそう言うなり私を包み込んだ。
「目覚めたのが結望の誕生日だったのも……もしかしたら、紀江ちゃんのおかげかもしれないわね。…だってほら、結望を抱き締めるには一番の日じゃない?」
くつくつと笑いながら言った。
「アタシ…、あのまま死ぬんだと思ってた」
「……深守」
「ふふふっ、だって、アンタの為に死を選んだんだから当然の結果でしょ? ……でも、それを阻止する人達がいたお陰でアタシは帰ってこれた」
「……それは、感謝…しなくてはいけませんね」
「えぇ、本当に…」
私は深守から命を与えてもらったが、彼も同じく命を与えられた側だ。どんな理由であれ、深守が生きていた事が嬉しい。目覚めてくれた事が何よりで、奇跡なら、尚更。
「――ところでサ、もう知ってるでしょ。アタシが、アンタが赤子の時から面倒見てたこと」
深守は赤子を抱く素振りを見せながら、いつもの様に、困った顔で笑った。
「……はい、存じております」
私は母との会話と、記憶を思い返して答える。
母と私の元へ現れた時のこと、私達二人の為に、穏やかな日々を与えてくれたこと。全てを教えて貰って、忘れていた思い出と向き合う。
「お母様は凄く嬉しかったと思います。あの日、あの時出会わなければ今はありませんから…幼い私も、深守とだから笑えてたのかもしれません」
「ホント、こぉんな小さかった結望がねぇ…大きくなっちゃって…しかも、アタシの嫁になっちゃったなんて、人生何が起こるかわからないわ」
面白い事もあるもんだ、と扇子を取り出して扇ぐ。「アタシって重罪かも」と言いながらも楽しそうにニマニマ笑った。
「し、深守がずるいからです…っ。いつもいつもあんな……」私は目を逸らすと、深守の胸元を軽く押して距離をとる。「好きにならない方が、おかしいですから…」
「…そうさね、アタシ……ずるいかも。いつの間にか、アンタに振り向いて欲しくてワザと行動してたところもあったから。幼子のアンタにはそんな事、一度も思ったことなかったのに……まぁ、思ってたら源氏物語過ぎるケド…なんて」
口許を隠しながら深守も目を逸らした。
「でも…、この先生きていく上でアンタしかいないと思った。これは本当」
私の頬に手を伸ばす。大きく、凛々しい掌が私を包み込んだ。少しだけ首を傾げて、深守の掌に擦り寄る仕草をする。深守の手はいつも、あたたかい。
「ふふ、可愛い」
そんな私を見て深守は微笑む。
「…アタシもね、あの時アンタ達二人に出会ったからこそ今があるのよ。…だから、ありがとね」
「こちらこそ、ありがとうございます」
私は深守に向かって深くお辞儀をする。出会いと、日々の感謝に。私達を繋げて下さったお母様にも頭が上がらない。
「ねぇ、結望…。頼りないアタシだけれど、これからも…アンタの為に生き続けるわ。だから末永くよろしく頼むよ」
「はい、もちろんです。私こそ、改めてよろしくお願いします」
二人だけで、誓いの言葉を交わす。
「…それ」
「わっ」
深守は私を横向きに抱きかかえると「軽いわね」と笑いながら、くるくるその場を回った。昔を彷彿とさせるような、優しい抱っこに私も笑みが溢れ出す。
「結望、愛してるわ」
「…私も、深守を心から愛しています」
月明かりに照らされながら、私達は唇を重ね合った。
今まで吹いていなかった風が、ふわっと、私達を包み込むように吹き抜ける。それはまるで祝福のようで、心地の良い風だった。