ゴォゴォと風を切る音が、私の耳を貫いていく。
どのくらい走っただろうか。
あとどのくらいで着いてしまうのだろうか。
そんな考えが頭を過ぎる。
(知りたいことが多すぎる…)
私はどうしよう、と手を少しだけ強く握る。
折成さんに捕まりながらただ里へ着くのを待つだけなのは心許ない気もして、いっその事、聞き出せるだけ聞き出そうと問いかけた。
「あ、あの…」
「なんだ」
「母も、ということは…生贄は、決まった方がなるのでしょうか? 無差別では、ない…といいますか。これ以上言えなければ別に…大丈夫なんですけど、聞きたくて」
「あー…、別にそこら辺はいいんじゃねえか。当事者だしよ…いや、知らねぇけど。人質の件話してるし、今更だろ」
空砂さんも今はいなさそうだし…と辺りを見回して、折成さんは自分からまいた種だからと、静かに話を続けてくれた。
「で、だ。生贄は必ず決まった奴がなる。だからこそ村側の管理者である宮守がいる訳だ。…笹野は初めて送られた花嫁以降、代々生贄の家系だからな」
と、折成さんは前を向きながら呟く。
「……なる、ほど…。そうでしたか……なら、よかったです」
「………は? お前、意味わかってるのか。母親も、先祖も皆鬼族に殺されてるんだぞ」
折成さんはこちらを向いた。驚きを隠せない表情をして走る速度を緩めた。それもそうだ。普通なら納得しないことに対して納得してしまったのだから。
「あ、…えっと、違うんです。そうじゃなくて……生贄が無闇適当に選ばれているわけでなかったのが、安心したと言いますか……なるべくしてなっていたのかと思ったら、私が今まで生きた意味もあったのかな…って、あの…おかしな話ですよね。すみません……」
村の人達は苦手だけれど、それでも笹野だけの問題で、一般人を巻き込まずに済むのかと思えば嬉しかったのだ。村の人達を守れるのなら私で良かったのだと、落ち着いてくるとそういう気持ちにさせられた。
「…初めて見た時は怯えてばかりで、何も知らない娘で……なんなら、ついさっきまで騙されてたってのに、お前って、案外強いんだな」
折成さんは困ったように言った。
「……強くは、ないです。自身が鈍すぎたことも認めて、ます…。でも、一瞬で何もかも変わってしまったので、それこそ…慣れてしまったのかも」
「だが普通は理由を知ったらもっと怖がるだろ」
「い、いきなり全部のこと言われていたら、きっと……どうしたらいいかわからなくなっていたと思います。し、深守は……多分、それを理解した上で少しずつ教えてくれてたのかも、ですね。何も知らない私の為に」
「…それ、狐が聞いたら泣いて喜んでたぞ」
「ふふっそうかもしれません」
その場の空気に似つかわしくない笑みが零れる。
「折成さん…、流れで伺ってしまうのですが」
「なんだ」
「私の、…その、お父様の存在って」
「…………」
「………」
静寂に包まれ、折成さんに踏まれて鳴る草木の音だけが薄暗闇に響く。折成さんは考えるように「後には引けないぞ」と忠告をした。
「……もう、ここまできてしまったんです。後悔などありません」
私は微笑んで見せる。
これが精一杯の見栄張りだった。
「……お前の父親は、鬼族の長だ」
折成さんは思考しながら教えてくれた。
「笹野家の娘は嫁入りという名目で生贄に出されるが、実際に長との赤子を産むのを繰り返している」
「それが今でいう私ですね」
「あぁ」
折成さんは頷いて続ける。
「娘に妊娠がわかると村へ帰され、里より安全だからと宮守の元で子育てをしていた」
裏で鬼族と繋がっていた宮守の傍に置いておく事で、鬼族が居なくとも問題なく済んでいた。
(管理、かぁ…)
改めて考えると、人間として見られていた訳では無かったのだと、少しばかり哀しくなった。
そして、長の妻となった娘は然るべき時が来ると、本当の生贄として長の一部となる。身を捧げて死を遂げ、意識と本来の寿命を吸い取られていたのだ。
そして、産んだ子供がまた成長し、十七になると新たに宮守から嫁いでくる。それの繰り返しで里の安寧が保たれていた。
「…鬼族は長の存在が絶対だからな。生贄が必要だと思ってる奴らが大半だろうよ」
俺には理解できないが、と付け足しながら折成さんは溜息を吐いた。
「お母様は確か…、私が四歳の頃に亡くなったと昂枝から聞いたわ。でも、記憶がほとんど残ってないの」
「お前の母親はそうだったな…。捧げられる時ってのは、なんていうか…その時次第で時期を決められないからな」
「…とはいえ、全て順当だったんですね。もうすぐ私も十七になりますし」
「あぁ、だから狐はお前のところへ現れたんだろうよ」
「…深守」
私は今、大変な目にあっている彼を思い浮かべて瞼を強く閉じる。
どうか、どうか再会出来ますように――。
そして、私の場合は深守との出会いにより例外となったが、嫁ぎ先が決まり鬼族の元へ行く際は、一般的な政略結婚と同じ順序を辿るという。生贄ということを知らされず、ただ普通に鬼族の元へ身を寄せるだけ。
母や、会ったことのないご先祖様はきっと、この事を殆ど知らないまま人生を終えていたのだろう。
(でも最期は、一人ぼっちで苦しんだのかしら…)
お母様達のことを考えたら、心臓が絞られるような感覚に陥った。
宮守の家の中でしか過ごしてこなかった私は生きることへの執着がなかったのもあり、鬼族の為になるのならと今となっては考えてしまう。しかし、お母様はどうだっただろう。病に朽ちるならまだ仕方ないと思えるかもしれないけれど、そうではないのに子を置いて死ぬという、最後の最後で知らされる現実を受け止め切れるだろうか。
夫に呼ばれ鬼族の里へ戻ったと思えば、いとも簡単に殺されるだなんて考えたくもない。
(ごめんなさい、お母様…)
私は罪悪感に苛まれた。生きていれば何とでもなるのに、死にたいと願ってしまった自分がいる事が。生きたくても生きられなかった彼女達に示しがつかない。
自分は笹野家の為にも、最後の人間にならなければならない。この先産まれるかもしれない子供に幸せを与える為にも――絶対に。
「…もし、男子(おのこ)が産まれていたらどうなっていたのでしょうか。子供を産めない方もいらっしゃったはずですがどうやって――」
「確か数十年前、男子続きで苦しんだ女がいたな」
花嫁を考えれば当たり前だが、娘が産まれるとたいそう喜ばれ、逆に男子が産まれると女児を出産するまで永遠と妊娠させられていたらしい。折成さんによると、私の祖母に当たる少女は、元々身体が弱かった上に男子続きで、私の母を産む頃にはぼろぼろになってしまったという。使い物にならなくなった祖母は、私の母を育てることもままならないまま、長に吸収される形でこの世を去った。
まるで道具のような扱いに、我慢していた涙が零れてしまう。身体に支障が出る程無理をさせていたなんて、こんなにも悲しいことはない。私は折成さんに「男の子達はどうなったんですか」と、震えながら聞いた。
「…死んではないから安心しろ」
「…っよかった」私は安堵し涙を拭う。
「だが、そいつらは親の顔も知らないままだろうよ。あくまで人間として外へ売られちまったんだ」
「……それは…ある意味、幸運だった。のかしら……」
「ある意味、な…。行き先にもよるだろうが」
折成さんは視線をずらす。
「それと…、昔は今よりもっと長い歳月をかけて生贄は送られていた。長との子供を何人も産み落とした先祖は多いし、管理体制も全然違っていた」
「…今は縮まっているんですか?」
「あぁ、長の年齢も関係してるんだろうな。年々早まっている気がする」
だからこそ、祖母にあたる女性は無理矢理にでも女子(めのこ)を出産させられたのではないか、折成さんはそう唱えた。
「……?」
「なんだ?」
「ま、待ってください。でも…、そうなると、私にも、私達にも…鬼族の血が入っていることになりませんか…? 長との子なら…人間の娘っていうのも、所謂、建前…?」
私は信じられないといった様に口元を抑える。
「そういうことに…なるな」
「………え、えぇ…っ。だって、私…鬼族っぽい特徴なんて、ありませんし…っ」
人間として生きてきたのに、鬼族の血が半分入ってたとなると話は変わってくる。普通に聞き流していたけれど、生贄の次に衝撃の現実だ。混乱に陥った私は、涙を流したまま意味もなく、見たことも触ったこともない自身の角を探し始めてしまう。
「ない…ですし、力もありません…」
ちんぷんかんぷんで頭がぐるぐる回った。
「えぇと…お、お前にはねぇよ。純血でも個人差あるんだ。人間として生かされてたお前が気づけるわけがない。…大体、万が一角が生えていてもすぐ取られていただろうな」
折成さんの言葉に私は酷く落ち込んでしまう。
自身には鬼族の血が入っていて、それでいて鬼族に命を狙われていた。そう考えると悲しいというか、虚しいというか。
ある種、同族間で完結しているとも言えるけれど…。
「そういうもの、なのでしょうか…」
「……まぁ、強いて言うなら髪色と目の色が妖っぽいか…? お前の母親も似た髪色だしよ。寿命や怪力については知らねぇけど」
折成さんは私の方を見やる。
私はなるべく気にしないように、と過ごしていた自分の髪の毛に触れる。
「私…、この芥子色嫌いなんです。村の人達は私の事気味悪がって…その、虐めてくるので自ら短く切ってしまいました。でも、なんで気づかなかったんでしょう…。早く気づけてればまた違っていたかもしれないのに」
「環境がそうさせなかったんだろう。宮守から出なければ通常の妖にも人型の妖にも出会わない」
「確かに…そうですね」
宮守はそうすることで本人の疑問を最小限に留めていた。知ってしまえば、察しのいい子供ならわかってしまうから。自ら引きこもっていた私だけれど、結局は同じことだったのだと実感させられる。
「角といえば、両親共鬼族の成兎にも角が生えてなかった。あいつは、鬼族なのに…って度々悔しがってたけど、本当に人それぞれなんだよ」
折成さんは遠くを見つめながら言った。
「……だから、だろうか。家族の中でも真っ先に標的にされたのは。角を持ち、力を持つ者こそ本来の鬼族、あの人はそう思っているはずだからよ。だからあいつが…、成兎が鬼族に産まれなかったら、今頃幸せに生きていたんじゃないかって思うことは多々ある。全然鬼族っぽくないんだ、あいつは。鬼族特有の力も特別強いわけじゃなかったし、あくまで普通の子だった。…お前となら年齢も近いし、いい友達になれたかもな」
折成さんは微笑んだ。きっと、成兎さんへ愛情を向ける時もこんな感じだったのだろう。そう思える表情に、尚のこと胸が締め付けられた。
「……成兎さんはおいくつ、だったんですか…?」
「人間でいえば、十二、三歳だろうな。お前よりももっと小柄だった。あと、こんなこと言ったら引かれるかもしれないが…あいつは、目に入れても痛くない程かわいいやつだった」
折成さんは少し照れ臭そうに咳払いをする。
「折成さんがそこまで仰る方なら、お会いしてみたかったですね」
「……何もかも終わったら、成兎の墓参りもしてやってくれないか。あいつもきっと喜ぶ」
「そう、ですね。行けることを願っています」
この状況から脱したとしても、失うものも多そうで不安だ。とにかく皆無事でいて欲しい。ただの生贄の私は、そう願う事しかできない。
「つーかよ。そういえばお前、あいつに好意を寄せているだろ」
「えっあ…ぇ……っと」
突然の言葉に驚くと同時に、かぁっと頬が火照るのを感じた。好きか嫌いかと言われたら勿論好きではあるし、きっとそう…なのだけれど。他人から見てもそう見えてしまうのかと思ったら、恥ずかしすぎていたたまれなくなる。
「名前出してねぇのに顔真っ赤だぞ」
「もうっ、今の状況考えてください…!」
「はははっ狐婆(ばばあ)も幸せもんだな」
折成さんは笑いながら深守の事をそう呼んだ。一応敵同士だというのに、先程から深守の事を話しても前までの殺気はない。
「…狐は俺の前にも突然現れた。あいつは多分、言わないだけで何もかも全て知っている。あいつは親切なんだろうけど、臆病なんだよな。…俺も人の事言えないけどよ」
「深守は…」言いかけたところで「あいつはお前の為に生きている。互いに生きて、後で聞くんだな」
と折成さんに止められてしまう。
そこからは沈黙が続いた。
むしろ気になったことを殆ど話してくれたのだから感謝しなくてはならない。話すこと自体危険が伴っていたけれど、彼は話してくれた。
深守については――彼は、ちゃんと話してくれるのだろうか。
それに――。
深守のこと、私は愛しているのだろうか。命懸けで助けてくれる彼の事を、大切な彼の事を。彼といると緊張もするし、心臓も跳ねてしまう。だからこの気持ちに嘘は無いはずだけれど…私は深守のこと、まだ全然わかっていなかった。
知る為にも全て終わらせなくてはならない。
私は折成さんの首元で固定している腕に少しだけ力を込めると、静かに目を閉じた。
――走る音だけが聞こえる静かな間、私はゆっくりと聞いた話を咀嚼していた。
はっきりと言って、空砂さんは怖い。
先程の話が本当なら私は今日これから死ぬことはない。勿論、誕生日に死ぬこともない。だけど、最悪な自体になった場合は結婚させられてしまう。臥で無理矢理…なんて事も有り得なくはない話だ。ついそんな事を考えてしまう。
きっと大丈夫と思っているけど、実際事が上手く運んで全員生きて出会えたとして、対して鬼族はどうなってしまうのだろう。生贄による反逆行為に、空砂さん相手に、どうやったら勝てる?
それにきっと、妖葬班…特に海萊さんは私達を追いかけてくるだろう。
本当に無茶苦茶だ。相手が悪すぎるのだから。
私は相手の事を考えずに頭を埋めると、溜息を漏らす。
私は二人にどうなって欲しいの…?
折成さんは、空砂さんに死を求めているの…?
皆は、どう思っているの…?
きっと深守は意地でも二人を殺さない。
だけどそれが今現在の、小さくなってしまった深守を作っているのも事実で――。
(……)
どうしたら全てが上手くいくのだろうか。できれば私も死を見たくない。でも…。
どちらに転んでも私は後悔する気がしてきて、あれだけ強がったのに怖くて堪らない。全員が生きられて、全員が何とかなる方法が存在するならば神様は教えて欲しい。
「結望、もうすぐだ」
そう言われて、はっと顔を上げる。
長い長い距離を走ったように思う。何処に鬼族の里があるのか不明だが、人間が歩いて赴こうものなら数日を要するだろう。
私は息を深く吸い込んだ。落ち着け、大丈夫だと言い聞かせるように。「ふぅ…」と呼吸を整えて「折成さん…、この先は歩いて行きます」と伝えた。
折成さんは「あぁ」と返事をすると、私をそっと下ろす。草履越しでもわかる土の柔らかさ。足へちくちくと草の感触が広がった。一刻も無いほどの時間だったが、地面に足を下ろす事が久しぶりに感じられた。
ちらりと見える集落に、私は覚悟を決めたように一歩を踏み出す。
此処から先は一人なのだから。