務め1

 私達は村の麓、妖葬班の本拠地へと辿り着いた。空砂さんが現れた事は想定していた内の一つではあったが、まさか折成さんを残す事になるなんて思いもしなかった。不幸中の幸い――というのもおかしな話ではあるが、夜というのも相まってか、妖葬班含めた村人とは出くわさずに済んだことには安堵したけれど。

 ただし、妖葬班の拠点である此処には夜勤中の班員が数人――それから、こうなる事を見越して多数配備されている可能性は零ではない。

(――また無事でいて欲しいと願う人が出来てしまった)

 折成さんは大丈夫なのだろうか。

 幸い大きな音はしてこないのだが、それが始まりの合図なのか終わりの合図なのかはわからない。

 昂枝と私は兎に角と、木陰から隙を狙っていた。

「出入口となる正門は当たり前だが二名…裏口も一名はいるだろうから隙が生まれるのであればその間――山に隣接されているあそこだ」

 昂枝は敷地に隣り合わせになっている林を指差す。

 根城の正門は村と麓の境、村から見て左側の少し大きな道を通ると横に大きな門がある。それが正門だ。因みに裏口は村から見て右側、細道に小さく位置している。つまりは麓から見た際の左側には基本雑草以外何も無い。

 ただ、何も無いが故に見つかった時が大変だ。

 それに山の上から見た事ある程度で、入ったことのない敷地でもある。何処に彼らが捕まっているかなどわかるはずもなかった。

 しかし一番大きな建物である本拠地以外、散らばっている幾つかの建物はさほど大きくなさそうに思える。若者の学び屋や鍛錬場は本拠地傍の小屋だと推測する。

 そうなると裏口や狙いを定めた場所から程近い、古びた小屋が罪人などの一時的な収監に適していそうだが、ただの物置の可能性もある。

 何もかも一か八かだった。

「慎重に行くぞ」

「えぇ…」

 昂枝は念の為、と神社から持って来ていた短刀を腰に差し直す。

 人気がないことを確認し、音を立てないようゆっくりと雑草の間を抜ける。ここからが問題で、今度は目の前の塀を越えなくてはならない。高さはそれ程でもないのだが、簡単にはいかないのも現実。

「………」

 話し込むのは危険な為、私達は無言でやり取りをする。きょろきょろと辺りを見回しながら、ふと、丁度良さそうな木を見つけた。

 風一つない日だと動かした木の枝と葉の音で見つかるのも時間の問題だが、今日は比較的風が強く、サァサァと木々を揺らしている。しかも、大きくて死角にもなりそうだ。

「あれ…いいかもしれないわ」

 木を指差しながら小声で伝える。昂枝も「試す価値ありそうだ」と、早速幹に足を掛けた。昂枝は流石は男の子といった様にいとも簡単に登り切ってしまう。私も同じように足を掛けて、ぐっと力を入れる。上で待っている昂枝の手を取ると、軽々と持ち上げられ、枝分かれしている部分にちょこんと座る形になった。

 念の為と辺りを見渡すが、どうやらまだ気づかれていないようだ。

 木に登り中の様子も伺う。班員の姿はないが―――。

 昂枝は覚悟を決めると、枝から塀へと渡る。手足を駆使しながらするり、と塀の壁に張り付いた。そのまま地に足を踏み入れた。

「やった…!」

 声は出さずに喜ぶ。安心したのも束の間、今度は私の番だ。袴と違い、着物で足を広げるのは難しい。少し捲るものの、難航してしまう。

 音を立てずにゆっくりと。

「――…っ!?」

 そんな時、私は着物の裾を引っ掛けてしまった。しまった! と思った時には遅くそのまま前に倒れ落ちてしまったのだ。

 ドサッと音が鳴る。昂枝が守ってくれた為痛みもなく無事だが、非常事態だ。「誰かいるのか」と、班員の声も聞こえてきた。

「………なんだ、誰もいないじゃないか」

 不審に思い近づいてきた班員は、松明をかざしながら首を傾げる。彼は欠伸をすると、元いた場所へ戻って行った。

「……行ったか」

 昂枝は背後を気にしながら呟く。

 私達は塀のすぐ傍に置かれていた木箱の裏に隠れ難を逃れたようだ。

「…………」

 腰に手が回っているのも、うっかり声を出さないよう私の口元を手で押さえてくれているのも、鈍臭い私の為を思った昂枝の優しさだ。だけど、こんな時でさえ意識してしまうようになるなんて。

「……っすまない」ぱっと手を離し、深呼吸をする。

「…ううん、ありがとう」

「……あとは、何処の建物か…だな。ただ…」

「ただ…?」

「鍵をどうするか、だな」

「……確かに、そうよね」

 考えなかったわけではないが、何も思いつかなかったのは否定出来ない。

 硬くて細長いものでもあれば入ったりするのかもしれないけれど、そのようなものが運良く見つかるとも思えなかった。

「兎に角、怪しそうなあの小屋から行くぞ」

 そう昂枝が言い立ち上がった時、

「何してるんですか貴方達は…」

「―――!!」

「あ、海祢…さん…」

 大きな溜息を吐きながら、海祢さんは「静かに」と人差し指を口に当てた。

「聞きたいことは山程ありますが、とりあえずこちらへ」

 見つかってしまったが故に断る理由も拒否権もなく、私達は大人しく海祢さんの後へ続く。海祢さんは辺りを見回しながら近くの小屋へ向かうと、中へ入るのを促した。

 狙いを定めていたそこは、残念ながら鍵さえ付いていない、ただの物置となっている場所だった。

「――それでお二人は何故此処へ? …と言ってもまぁ、十中八九想埜と妖狐の件でしょうが」

「話が早いのは助かる」

「……すみませんが、お返しする事は出来ません。お気持ちは、勿論わかりますが」

「理解して下さるのにどうして…。先程も思いましたが海祢さんは、他の方とは違って見えます」

 宮守家と昂枝、鬼族と折成さん、そして妖葬班と海祢さん。

 彼らはそれぞれの世界にいて、それぞれの人生を辿っている。だけどそれは、必ずしも自分の為ではない。

 海祢さんもまた、そこの世界の人とは違って見えた。

「僕は貴女が思う程良い人間ではないので。…早くお帰りになった方がよろしいかと」

 顔を合わせようとせず、右手で左腕を擦りながら答える。

「俺達はあいつらを取り返すまで帰れねぇんだよ」

「……無理ですよ。お二人には。万が一場所が掴めたとしても、きっと生きて帰れない。――お願いですから、今なら見逃すので家に」

「……家には帰れないんだよ、どの道」

「………」

「…あーって顔をするな。大体お前らのせいだろうが」

 たった数刻前だそ。と腕を組む海祢さんに向かい昂枝は憤りを露わにする。

「お前達のせいであいつらは――妖達は日常を奪われてるんだからな」

「それは村の安全の為です。…妖から村人を守るのが僕達の仕事ですから」

 海祢さんは引き戸を開け、私達を外へ連れ出そうとしたその瞬間の事だった。

 海祢さんは目の前に現れた折成さんを見て息を飲む。音を立てず、静かに佇むその姿に手も足も出なくなっていた。

「せ、折成さん…!」

 私は無事だったことに安堵する。だが、影になっていて気づかなかった無数の傷に言葉を失った。

 彼は一言も発することなく自身より低い引き戸をくぐり抜けながら、その力強い腕力で海祢さんを横へ退かす。

「おま……大丈夫なのかよ」

 昂枝も折成さんを見て心配そうに様子を伺う。

「――――」

 折成さんは私の目の前にとぼとぼやって来くると、小さく「すまない」と零して唐突に私を抱き締めた。昂枝が目を見開くのが視界に入ったが、私自身が折成さんに持ち上げられ、昂枝の傍から離れていることに気づいた時には何もかも遅かった。

「……っ折成さん!」

「……お前!!」

 折成さんは凄まじい速さで駆けると、妖葬班の根城から一瞬にして離れてしまう。せっかく彼らの元に辿り着いたのに、また遠くなってしまった。

「折成さん、さっきのは全部嘘だったんですか? それに、その傷……」

 落ちて死ぬのだけはごめんだと、折成さんの肩に腕を回し、必死にしがみつきながら質問をする。何より深守まではいかずとも、かなりの大怪我だ。こんな状態で暴れたら傷口が開いてしまう。

「嘘じゃねぇ…! 嘘じゃねぇけど…。っ俺は、俺は何で………」

 少しだけ走る速度を落としながら彼は焦りを見せた。しかし動く事を辞めるわけでもなく、ただひたすらに、自分の感情と行動の違いに混乱しているといった表情だ。

「………折成、さん……。私、まだ死にたくないですよ。……深守達に会えてませんから」

 結局、何処にいるのか全く検討もつかなかった。昂枝を置いていってしまったことも心残りだ。

 どうせ死ぬのならちゃんとお別れさせて欲しい。

 私は大きく息を吸って、ぐっと涙を堪えながら呟く。

「鬼族の所へ連れてってもいいですから…、折成さんが焦っている理由…聞かせてもらえませんか。それに、傷の手当も早くしないと、心配です」

 敵であるはずの折成さんにこんな事言うなんてと自分でも思うが、理由がわかった以上、前みたいに泣き喚いたりしている暇などない。早く帰って、深守達を助けて、全部終わらせて皆でゆっくりとお茶を飲みたい。

 そこに折成さん達がいるのならその運命も悪くないかもしれない。平和な時間が戻ってくるのなら。私が生きることを望んでくれるのなら。種族分け隔てなく、仲良くなりたいと思っているから。

「…笹野結望」

「……はい。……あ、姓名で呼ばれると…ちょこっとだけ恥ずかしいので、生贄でも何でも楽に呼んでくださると…幸いです」

 私は苦笑する。ただ、折成さんとは対照的に冷静過ぎる自分がいることに驚いていた。

 折成さんはそんな私を見て溜息をつく。そして、そっと私のことを下ろすと、何から話そうといったように考え始めた。

「………」

「……」

「俺なんか信用できないかもしれないが」

「…そんなことありません」

「……じゃあよ、俺の家族が…人質に取られてるって言っても信用できるか?」

 折成さんは私を目の前に見据え、静かに言い放った。

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