そんな中、深守は耳をぴんと立てると真剣な顔つきになる。
「………想埜ちゃんには悪いけど、少しだけ静かにしとくれ」
私達はそれに従うと息を殺すように押し黙る。
「…………奴らがいるわ」
小さな声で深守は呟く。
深守は私達三人を後ろ側へやると、引き戸を見つめる。
想埜も涙を無理矢理拭い、私を昂枝と挟むように息を整えながら移動した。
そして、二人に守られる形になった。視線は引き戸のままに。
「────やぁ、さっきぶりだな。皆の衆」
ひょこっと引き戸から現れた海萊さんを見て私達は声を失った。帰路についていたはずではなかったのか。
そもそも…いつから、つけられていた?
海萊さんは想埜へ視線を向けるとこう呟く。
「あーあ、つまらない」
頭を掻きながら大きく溜息を吐き出した。
「駄目じゃない、そいつは監視対象なんだから。しかも…ははっ、厄介な狐も御一緒に仲良しこよしごっこか。……自分達の立場弁えろよ」
丁寧に草履を並べ、土間から一段上がる。
一歩ずつこちらへ近づいてくる海萊さんに、想埜は心臓が凍りつく。
「………っ……」
私は想埜の手を握り締めた。
「――笹野結望、その手を離せ」
「…離しません」
「離せ。斬るぞ」
「……それで想埜や皆を守れるなら、構いません」
海萊さんを見据えながら断言する。
「…………結望」
「ただの小娘が何を言う。妖など放っておけばいいものを」
深守は私達を庇いながら海萊さんを睨みつけた。
「アンタ達って本当に――」
「ふん、お前らがこの土地に居るのが悪いんだろう」
「―――っ深守!!」
キンッ! と劈く音がした。
ぎり、ぎり、と深守の鉄扇子と海萊さんの刀が音を立てる。
先制攻撃を仕掛けた海萊さんは、深守の目の前に来るや否や鞘から刀を抜き放った。正面から斬りかかろうとするが、それを深守が扇子ひとつで阻止したのだ。
「ほう…ただの野狐の癖によくやるな」
「っ…馬鹿ね、アタシは神様よ」
両手で扇子を握り締め耐える。余裕そうな海萊さんは楽しそうに笑う。
「ぐっ…!」
「深守…!」
深守は一瞬押されそうになるのをなんとか持ち堪える。そしてそのまま刀を弾くと立ち上がった。
「はははっ! 何もかも面白いな。童諸共斬られたくなければ耐え抜けよ野狐!」
海萊さんはそう言うなりもう一度刀を振りかざした。
「下がってなさいアンタ達! どうせ此処は囲まれてるわ!」
深守は叫ぶ。もう一度キンッ! と大きな音が鳴った。今度は深守の頬寸前のところで刀が止まる。
二人は真剣な眼差しで向かい合う。
昂枝も応戦しようと、懐にしまっていた短刀を取り出し駆け寄った。しかし、すぐさま深守に止められてしまう。
「お前…! 怪我してるくせに無茶だろうが!」
「っいいから二人を守ってやりなさい!」
(…己が怪我してるからじゃない。コイツの力は…、“鬼族並”だわ……)
深守は身を持って感じた。そうなれば、昂枝が入ったところで意味をなさない。海萊さんが鬼族と同等ならば、普通の人間である昂枝に敵うわけがないのだ。だけど昂枝が何も出来ないなんてことも思ってはいない。鍛錬しているのは深守だって知っていたからだ。
だからこそ、私と想埜の二人を昂枝に任せようとしたのだった。
深守は海萊さんの攻撃を交わしつつ、小さな刃で切り傷を作り続ける。怒涛の如く、海萊さんと既の所まで近づくと、肩に鉄扇子を思い切り振り下ろした。
「チッ!」
鉄ということもありかなりの硬さと重さだ。少しばかり海萊さんもよろめいた。そこに深守は回し蹴りを一発お見舞すると、刀を奪い、ひとつため息をついた。
「アタシはね、アンタ達を殺生したくないんだよ。だから、少し話を聞いとくれ」
倒れる海萊さんに深守は言った。
「……煩い」
「………アタシ達は、一度話し合うべきよ」
「煩い煩い煩い!」
海萊さんは叫ぶと無理矢理身体を起こす。妖に押し退けられた事で、かえって海萊さんの闘争心を刺激してしまったようだ。
「殺してやるっ!!」
「…っ!」
先程までとは打って変わり、海萊さんは凄まじい勢いで襲いかかってきた。深守は刀を奪われまいとするが、あまりの力強さに圧倒されてしまう。
「お前…!!」
昂枝は我慢ならなかったようで海萊さんに掴みかかるが、昂枝の力を持ってしてもいとも簡単に弾き飛ばされてしまった。
「昂枝…!」
「大丈夫!?」
「っ…たた…なんだ、あの強さ……」
昂枝は衝撃で痛む臀部を摩る。
武器に差があれど、二人はほぼ互角だと思っていた。しかし深守は、私達三人の方へ海萊さんが来ないよう、受け止めることしかできなくなっていたのだ。
幾ら妖葬班の第一班長程強い人とはいえ、ここまでの実力差が出るものなのかと度肝を抜かれた。
「アンタ達も、やっぱり…っ…話合ってくれないのね…!」
相手に押し切られる前に全力で押す。深守は顔を引き攣りながら耐え凌ぎ続ける。
「お前達の話など聞くに値せん」
海萊さんは鞘の紐を解くと深守に叩きつけた。
深守の手元が緩んだその隙に、海萊さんは刀を取り戻す。そして「貰った!!」と勢いよく深守の腹部を貫いた。
「「深守!!」」
「…深守さん!!」
「がはっ」
刀を抜かれどくどくと血が溢れ出す。口からも出血をし、着物が瞬く間に赤く染っていった。
膝を折り、その場に崩れ落ちた深守を庇うべく、私達三人は駆け寄った。
「馬鹿狐こんなところで死ぬな!」
昂枝は叫ぶと、海萊さんの方を向いて構える。想埜も大きく深呼吸をしながら、目の前にいる敵を見据えた。
「深守! 深守っ、お願いだから力を使って…!」
私は深守を抱き留めて、深守の手を患部へと押さえ叫ぶ。
「本当にお願い、だから…っ!」
「…っは…ぁ……はぁ…。そう、…なるわよね…。少し…、だけ……よ」
深守は諦めたように呟く。ぐぅ、と苦しそうな声を上げながら自分に力を使った。傷口はかすり傷程に回復するも、少し朧気だ。
「ふぅん…治癒か。珍しいな」
海萊さんは興味深そうに言う。
「……まだ抵抗する気か?」
幼馴染である想埜に向かい、彼は刀を真っ直ぐに向ける。下位の者を見下すような瞳は、本来ならば綺麗な藍色に見えるはずが、灰色のように濁って見えた。
「……関係、ありません。今度は…俺が…」
想埜は震えながらも声を振り絞る。
「………こうして宮守の人間が歯向かう姿を見るのも、そそられるな」
想埜から昂枝に切っ先を変えながら嘲笑う。
「……………」
「そうだ。宮守のご子息さんよ、一番大事な仕事は忘れてないだろうな」
「…っ、お前」
昂枝は目を見開きながら狼狽える。
「ははは、俺に隠し事は出来んぞ」
海萊さんは刀を鞘に収めながら、他の班員に向けて声を出した。
「――連れて行け!」
その一言を受け、古民家周辺にいた妖葬班の班員が数名中へ入ってくる。そこには海祢さんも含まれていた。
「くそっ!」
昂枝は舌打ちをして妖葬班に斬りかかる。
「深守、逃げましょう!」
私は深守に声をかける。身体を治したのだから、多少は動けるだろうと思い彼を引っ張り上げた。しかし、上手く立てないのかふらふらと揺蕩っている。身体の大きな深守を支えるのは力がいるが、私は背中に腕を回してなんとか受け止めた。
だけど、妖葬班の一人が容赦なく襲いかかってきた。武器を持たずとも戦えるよう格闘術を習得している相手に、何も抵抗することが出来ず目を閉じ「きゃあ!」と叫んだ。
その瞬間、深守は私をぎりぎり残った体力で抱き締めると、扇子でそれを振り切った。
そのまま流れるように私の方へ力を預け、また、倒れ込んでしまう。浅い呼吸を繰り返しながら、目を虚ろにさせながら、深守は呟いた。
「っ…結望…せめて、アンタだけ……、は…」
最後まで言い切ることが出来ないまま、彼は意識を失ってしまう。
「深守…っ!! だめよ、目を覚まして…!!」
だらりと落ちた腕、息はまだしているようなのに、何度揺さぶっても彼は目覚めない。敵は目の前にいる。二人がなんとか庇ってくれているが、限界も近い。
「だあああ!!」
昂枝は短刀を突きつける。だが、相手はやはり妖葬班。海萊さんとまではいかずとも、実力者揃いだ。足を使い短刀を跳ねると、昂枝の胸ぐらを掴み右足を刈った。思い切り投げられた昂枝は床にゴッと背中を打ち付ける。
「―――!」
班員は無言で昂枝の首元に弾いた短刀を突きつけた。触れるか触れないかの瀬戸際にある刃のせいで昂枝は動けなくなってしまう。
「観念してください」
妖葬班の少年は言った。年端も行かぬ年齢の班員に制圧されてしまい、くそ、と昂枝は吐き捨てる。
「あぁっ…もう、どうしたら…!」
想埜も包丁を手に取り応戦するも、彼は戦い方を一切知らない。その場しのぎで振り回す。
「―――結望さん」
「………っ来ないで!」
涙で視界がぼやける私の目の前に海祢さんが膝を折った。
「……すみません」
彼は小さく謝る。妖葬班の他の班員とは違いどこか悲しげな表情を見せながら、私の頬に手を近づける。
「いやっ…」
避けようとするも叶わず、海祢さんの手のひらにそっと触れた。
そして、そっと指で私の涙を掬いながら「妖狐の彼を、渡して下さい」と苦しそうに呟いた。
「……お引き取り下さい」
そんなの、誰がはいどうぞ。と言うものか。私は眠る深守を強く強く抱き締めると睨みつけた。
こんな状態の深守が妖葬班に連れてかれてしまったら、もう一生帰って来ない。早く出来る限りのことをしなくてはならないというのに、どうして私には力がないのだろう。
海祢さんの優しさも恐怖に感じた。
「深守は、渡しません…絶対に、絶対に渡しません」
昂枝と想埜を見る。想埜も程なくして押さえつけられてしまっていた。
もう、逃げ場はない。
「結望…っ」
昂枝は何をしでかそうとするのか、と拘束されながらも私の方を見る。
私は深呼吸をした。これが通用するのかはわからない。
だけど、もう、これしか方法が思いつかない。
真っ直ぐに海祢さんの方を注視する。
そして私は言った。
「―――全部、全部私が責任を取るから…三人の命だけは助けて下さい」